「音楽」なき音楽という悲劇

「よい子」ほどダメになる

反教育論
猿の思考から超猿の施行へ
泉谷 閑示著

を、読んでみました

とても面白かったです

一部を抜粋引用させて頂きますと・・・

・・・・・・

「音楽」なき音楽という悲劇

基礎教育の及ぼす弊害は、
どの学問を学ぶ際にも見られることであるが、
ことに音楽や美術などの芸術分野においては、
さらに深刻な、
取り返しのつかないダメージを生んでしまうことがある。

・・・・・・中略・・・・・・

ある時テレビで、
日本では高名な中堅ピアニストの演奏が流れていた。

ショパンの生誕二百年記念ということで
ショパンのワルツを次々に演奏していたのだが、
そこにはおよそワルツらしい律動は微塵も感じられず、
メトロノームのような三拍子に乗って、
すべての音をタイプライターでも打っている様に均一な汚い音で
打ち込みのコンピューターのごとく
機械的なフレージングが行われていた。

画面をよく見れば、手振りや顔の表情は
わざとらしく感じられるもので、
しかもそれはまったく音に反映されることはなく、
少なくとも私には、
そこに音楽と呼べるような感じ取ることはできなかった。

ここにもまた「音楽の死体」と言うよりほかない
虚しさを感じたのだが、
なぜこのピアニストが日本で人気があるのか、
まったく私には不可解だった。

そこで、彼女のファンのブログなどを拝見してみると
性格が良さそうだとか、国際コンクールで上位入賞したからとか、
音楽の本質とは関係のない
属性だけで「良い演奏」と思い込んでいるらしいことがわかった。

それにしても、日本には
「音楽」そのものを聴くことのできる聴衆は滅多にいないのだろうか。

この話をある音大出身の知人に話したところ、
実に興味深い言葉が返ってきた。
「ああ、それは音楽ではなくピアノ道なんです。
茶道とか華道とかあるでしょ?
たまたまピアノって楽器を使って行うお稽古事の一種なんです

先生に言われた通りにやる事が何より大切なんで、
自分がどう思うかなんてことは、
むしろご法度なんです、
だからそこに「音楽」なんて期待しちゃいけません。
そのピアニストは、「ピアノ道」の総師範のようなもので、
そういう人たちのお手本なんですよ。
お手本だから、CDもチケットも沢山売れるんです。
そもそも「ピアノ道」を習ってる人たちは、
日頃「音楽」を聴いたりしませんし、
「音楽」を求めてコンサートに行ったりもしないんです。

なるほど、私はピアノを弾くのならば「音楽」をやるものだと
すっかり思い込んでいたのだったが、
これがそもそも大間違いだったようである。

・・・・・・さらに続く・・・・・・

まずは第1章・第2章は飛ばして
第3章から読むのがオススメです
(こういう本のお約束で
最初は基本理念の展開となっているので
第3章を楽しく先に読み、
興味がさらにもてたら
理屈は後からついてくるで
基本理念も自然と知りたくなると思いますよ)

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